4ヶ月に思うこと/コタローの幸せ

コタローを迎えて


コタローを迎えた日。
漠然と、犬って撫でられるのが好きで、すぐしっぽふってお腹を見せて甘えてくるもんだと思ってた。
子どもの頃に犬を飼ってた私がそうだったんだから、ましてや犬と生活したことのない家族はなおのこと。


だから、コタローが触られるのが好きそうじゃなかったり、暴れたり噛みついてきたりしたときは、あれ?って思ってしまったんだと思う。


触るとするりと避けたり、甘噛みがひどくなったりすると、すごく慌てた。
トイレこそ失敗しても叱らなかったが、甘噛みで痛く噛んだり服を引っ張ったりしたときはかなり叱った。



犬は服従させるもの?


叱ると歯向かってくる態度に不安を感じた。
コレが攻撃的ってことなんだろうか。そんな風に思ったりもした。
付け刃で得た知識では、子犬のうちにしっかり主従関係を築けとか、力で抑えられるうちに飼い主にかなわないと教えようとか。
某有名な犬のしつけDVDの紹介動画を見たり、なぜかその会員専用のFAQサイトに入り込んでしまい、柴犬のしつけ方を読んでしまったりして、やはり力で抑え込まないといけないのか?と思ったりした。


そして、中途半端な知識で無理矢理服従させようとして、コタローとの関係はかえって悪化した。
暴れるコタローを押さえつけながら、コレが私が望んでいたワンコライフだったけ・・・、疑問を感じた。


そのしつけ動画のお散歩風景にも、なにか違和感を感じた。
すばらしいリーダーウォークが披露されている。
犬は飼い主ばっかり見てる。まとわりつくように歩いている。
でも私、こういう散歩がしたかったんだっけ???



コタローの幸せって何だろう


こんなうちに来てしまって、コタローは不幸なんじゃないだろうか。
もっと柴犬のことを理解してくれる家族のところに行っていたら、コタローは幸せだったのでは・・・、ごめんよコタロー。
そんな風に落ち込むときもあった。


このとき、私はすっかり忘れていたのだ。コタローは私たち家族が選んだ犬だが、私たちはコタローが選んだ飼い主じゃない
私たちはコタローが好きだが、コタローの方は私たちを好きでも何でもなかったのだ。


当たり前だ。


今のコタローは、例えて言うならエイリアンにさらわれた人間の子供状態だ。
ある日突然両親や兄弟たちから引き離され、複雑怪奇な音を出す生き物に囲まれ、勝手に持ち上げたれたりいじくりまわされたり。
こちらの意思は全く通じないエイリアンに囲まれて、何を噛んでもギャーギャー言われたり押さえつけられたり。
きっと不安でしょうがなかったに違いない。


私ははっとした。


私たちがやらなければならなかったのは、まずコタローに私たちが安全で優しくて信頼するにたる生き物かを知ってもらって好きになってもらわなければいけなかったのでは?
服従は無理矢理させるもんじゃない。
信頼された飼い主には犬が自ら自主的に服従するようになるのではなかろうか。
ここまで考えが至るまでに、ずいぶんコタローに無理な注文を押し付けてしまった。



コタローの幸せは私たち家族の責任だ


人間なら、やがて大人になって家を出て、ひとりで幸せになる道を進むことができるだろう。
でも犬は?
いきいきと毎日楽しく暮らす幸せは、人間社会に放り込まれたワンコにはどうしたって自分だけでは無理なのだ。
今、目の前にいるコタローを、私たち家族が幸せにしなくて、いったい誰がしてやれるというのだ?


犬を飼うというのは、その犬ただ面倒見て生かしてやることだけじゃない。
その犬を幸せにする責任があるのだと思った。



まずコタローに信頼されるようになろう


コタローに信頼してもらうには?
いろんなブログを見たり、犬の生態についての本を読んだり、パピー教室で褒めるタイプのトレーナーさんから教わったり。
今までコタローに対して失くした信頼を取り戻す、今はその時期だ。
不思議なことに、叱るのをやめ褒めることに専念し始めたとたん、コタローの問題がすっかり消えたのだ。
もちろん減ったとは言ってもいまだに甘噛みもするしイタズラもするし、だけどそれを受け止める私たちがそれを問題と思わなくなったのだ。
コタローは攻撃的でも問題犬でもなく、ただの柴犬のチビッ子だったのだ。


今思えば、無理やりコタローを服従させようとしたとき、コタローよ、よくぞ反抗してくれたと思う。
あの時、コタローがすっかり萎縮して反抗しなくなったら、私は最大の失敗を最高の成功と取り違えてしまっていたかもしれない、
コタローの強さに感謝感謝。



それから1ヶ月


コタローとの関係は、以前よりずっと改善されたものの、まだまだ飼い主修行中の私に、コタローは穏やかな表情を見せてくれるようになった。
いわゆる服従の姿勢であるおなかを見せないなんて悩んでたのに、今では撫でて〜とコロンっとすることがある。


コタローのゴムパッキン(=黒いところ。くちびる?)もゆるみ気味で笑ってしまう。


ちょっと家族より先に早起きして、こんなふうにコタローとまったり過ごしてみたりする時間は、最高に幸せだ。

コタローも穏やかな時間を感じてくれていると嬉しい。


リーダーウォークなんて立派な散歩じゃないけど、コタローと話し合いながら散歩コースを決めたりする。
実は家族に譲れないくらい、毎日の散歩が楽しくてしょうがない。


これから思春期になりと、やっと落ち着いてきたワンコが反抗期に入るらしい。
きっとまたたいへんな思いをするのかもしれないけど、この気持ちを忘れずにいたい。